Cobaringの若返る健康法を伝授!

伝統的な日本型食生活を腹八分目食べることで瘦せられるばかりか健康を維持することができる簡単で経済的な若返る健康法です。

一元管理の西洋医学

平等という名目の一元管理

吉野敏明著「医療という嘘」より引用

鮭の一生に見る、オスとメスの役割の違い

生物はそれぞれに役割や個体差があり、平等にはできていません。
吉野先生は鮭を例に挙げます。


鮭は生後稚魚になるまで砂利の中で成長し、やがて春に海へ下りますが、多くは他の生物の餌になってしまいます。
僅か13㌫の稚魚が1㍍ぐらいまで大きくなります。
成長後、産卵のために母川回帰本能で4年かけて10万㌔も泳いで自分の生まれた川に戻るのです。
その間、たの生物や過酷な環境で息絶える鮭も多いのです。
生き残った鮭の中でカップルが生まれるとオスは顎が伸び、メスは産卵に適した体つきになり、適した場所で放卵するのです。
オスは他のオスか近づくのを防ぎながらメスに寄り添い、そこで放精し、受精が行われます。
産卵後、産卵床を守る産卵行動後、絶命し、オスは産卵床と群れ全部のメスと卵を守る
のです。
メスたちは絶命後に子どもたちに自分の体を食べさせて命を繋ぎます。
産みで育った鮭たちが川上で死ぬことで森のための栄養となり、川を介して森と海を繋ぎ自然を豊かにしてきたのです。
つまり鮭の生きざまからもオスとメスでは役割が異なり、決して同じではないのです。
基準値超えたら一律で薬を処方
日本人は昔から男女にはそれぞれ役割・使命があるというのを自然に理解できていました。
つまり、女性や子どもを命がけで守るのが男たちの仕事で、女性たちは子どもを命がけで産み育てるのが役目なのです。
昔は女が自宅で子どもを産み育て、男が子どもとその母親を守り養うというのが自然の姿でしたが、やがて赤ちゃんは病院で産むのが当たり前のように洗脳され、そして核家族化により、男女共に個人の趣味や娯楽を大事にするようになり、それまでの価値観が一変していったのです。
これは、人を一律に扱う西洋医学が入ってきたことや、自由・平等の人権思想の浸透などにより、生じた核家族化の影響です。
戦後、その影響で家族や男女間の分断が進み、社会は混乱しました。

とはいえ、日本は昔から女性は敬われてきました。
「男女の役割は異なるがゆえに補い合える」という自然の摂理に合致した考え方をしていたにも拘わらず、共産主義的な平等・人権思想入ってきたことにより、男女間や社会が分断されたのです。
西洋の平等という概念は医療でいうと、個人差を無視して「同じ処置を施す」ということです。
つまり、個体差を考慮しなければすべて一律に扱えるので、大衆をモノのように管理・コントロールしやすい──これが疫学や公衆衛生、ワク○ンの落とし穴です。


これは多くの日本人が健康診断で基準値を超えたら、病人扱いをして治療するよう指導するのと全く同じ理屈です。
この基準値は個人差を全く考慮していませんが、基準値を超えたままでも健康な人はたくさんいます。
元来基準範囲は、健常者の検査値の分布に基づいて設定され、特定の疾患や病態、治療目標などを考慮していません。しかも、専門学会や医療機関によっても基準値が異なります。
それにも関わらず「人類は皆健康であり得る権利・人権を等しく持っている」という大義名分を盾にして基準値外の人を病人扱いしているのが現実で、個人差を医学や薬で埋めていき、病気を量産しているのです。

ロックフェラー医学で世界秩序が作られた?

次から次へと新しいワク○ンを接種させるというのは個人の尊厳を無視した人体機械論的な発想で、大衆をモノのように捉え、あらゆるデータを集積しているのです。
ワク○ン接種体制を整備しておけば、人類をデジタルで一元完了(支配)できるのです。
彼らが西洋医学以外を医療と認めていないのも、この共産主義的な人類平等化のための統計学的な標準化に則っているからで、人為的な基準値信仰なのです。
個体差は体質や気質だけではなく、思想信条や信仰などの価値観や自己治癒力、潜在能力といった数値化できない形而上学的なもの(一般感覚で説明できないもの)までも含むので、本来行われるべき個体医療では計算通りにはいかないのです。
実際に末期癌が自然療法や新たな生き甲斐を見出だしたことで自然治癒(寛解)した例など数多くあります。
しかしながら、ロックフェラー医学に必要なのは平等・人権なので、個人的な心情や信仰心は一切考慮されません。
また、医療従事者には疫学や薬学などの唯物科学だけを求め、ロックフェラー医学では、疫学に必要な数学、社会科学に必要な語学力、薬学に必要な理科などの高学力が求められています。
延いては今の医者たちは主要四教科の偏差値だけで評価されるようになってしまっているのです。
昔の名医のように高い精神性や倫理観、慈悲の心や信仰心がなくても勉強ができれば高収入が得られる皇帝内経(中国最古の医学書)の下医が増えてしまったのはロックフェラー医学の悪影響なのです。
ロックフェラー医学はモーゼの直系を自負していますが、実際は共産主義思想を作り出した改宗ユダヤ教徒なのです。
また、彼らが巨大資本を支配 しているところからディープステート(闇の政府)と称されています。
特に彼らの中の左派グローバリストは唯物史観の共産主義思想によって世界を同一にしようとしていて、人類を奴隷化することで世界新秩序(New World Order)を構築しようとしているのです。


つまりロックフェラー医学もそのための戦略の一環なのです。かつての「醫」或いは「毉」であった本来の医学・医療を、一律的な「医」にすり替えたかったのです。
ロックフェラーは、共産主義的思想によって世界統一を目論み、巫術(ふじゅつ)や呪言といった、見えない世界をすべて否定し、今の唯物的な現代科学や現代医学を生んだ理由であり、要素還元主義(要素を理解すれば、元の複雑な性質も理解できるという考え方)ともいわれています。
これは「近代西洋医学VS東洋医学」ではなく、「ロックフェラー医学(=近代西洋医学)VS各国の伝統医学」なのです。

国民皆保険制度とロックフェラー財団の関係性

ロックフェラー医学の治療を受けるためには、長期的に高額な医療費を払い続けなくてはなりません。ところが、治らない治療のため、やがては治療費の支払いが困難になります。
そこで安定的に医療費を徴収するために国家ぐるみで保険料を取り上げるシステムを構築したのです。
大義名分は、平等・人類の健康・人種差別の撤廃です。
これにより国や自治体による社会保険制度が作られ、ロックフェラー財団が日本の公的医療保険を公認したのを契機に国民皆保険制度を迎えたのです。

医療保険の歴史

1920(大正9)年以前の医療保険と生命保険は、民間保険では民間共済組合、公務員に対しては官僚共済組合が担当していました。加入は任意で給付金や掛け金率も加入者によって異なりました。
1922(大正11)年に健康保険法を制定しました。従業員が10命以上いる企業の従業員は強制加入でした。
1927(昭和9)年、職域保険の対象を「5人以上の従業員のいる会社」に拡大し、数回の改正後、2つの職域保険制度(組合の健保と協会けんぽ)へと段階的に移行した。
1938(昭和13)年、内務省から厚生省が独立し、国民健康保険法が制定されました。
とはいえ、当初は第二次世界大戦の時代であったため、導入については困難を極めた。更に、各じちたいの任意で進めていたために、全国民に普及させることはできなかったのです。
1956(昭和31)年の時点では、日本人口の約1/3約が医療保険に未加入でしので、1958(昭和33)年に、国民健康保険法が改正され、すべての市町村において地域保険制度の設立が義務化されたのです。
1922(大正11)年に健康保険法を制定された時点で、日本に健康保険ができたたわけですが、これには労働者が社会主義に傾倒するのを防ぐ政府の思惑がありました。
日本初の健康保険は労働者たちの社会主義運動を抑止するのが目的
当時肉体労働者は過酷で、それ以外は軍人か軽工業で働く女性や子どもたちでした。そこで結核が流行ると社会全体が悪循環に陥るため健康保険を作ることにより国民の健康を管理しようと目論んだのです。
さらに、プロレタリア文学の影響で社会主義による革命思想が労働者の間で支持されていたため、社会主義運動をさせないよう公的保険制度を用意し、組織内に鬱積した不満が噴出しないように、解消させる狙いがあったのです。
その後、職域保険の拡大、企業の被用者も増えていきました。
このような形の健康保険は日本特有で、自営業者や農家の人たちまで被保険者となり、それまで完全自由診療であった 日本に公的医療制度として国民健康保険が生まれました。

診療所と病院

1948(昭和23)年に国民医療法が制定され、診療所と病院の区分が明確化されました。
20人以上を入院させることができるための施設(20床以上)を病院といいます。
さらに「病院は、傷病者が、科学的でかつ適正な診療を受けることができる便宜を与えることを主たる目的として組織され、かつ、運営されるものでなければならない」と規定され、医者たちは医業の自由が制限されたため、反対した。
その後も政府は公的資本を投入して、全国に病院、診療所、介護老人保健施設、介護医療院、調剤薬局など多くの医療機関を作ったのです。
しかし、日本が戦争に負けたこともあって、医療機関の供給不足解消にはなりませんでした。

薬物やワクチンを使って人類を一元管理

そのような中でGHQとともに日本に乗り込んできたのがアメリカ陸軍軍医准将だったクロフォード・F・サムスです
GHQ公衆衛生福祉局長を務めた彼を戦後の日本の医療面で功績を残したとして高く評価されたが、実際は日本を共産主義にしたかったのです。
というのはルーズベルトもGHQも共産主義の影響下に有り、GHQは当初日本を共産化しようと目論んでいたからですう。
そのため、サムスは日本に対して、それまでのドイツ医学中心の体制からアメリカ型のロックフェラー医学に変えるべく、保健医療の立案を進め、医学・歯科医学・薬学・看護学・獣医がくにわたる医学の教育改革、さらに厚生省や地方衛生行政の組織改編などを行うと共に医薬分業の実施も強く求めました。
サムスが推進した保健医療制度は、同じ保険料を支払えば全員が一律に同じ治療を受けられるようにするというものです。
一見、貧しい庶民には有り難いように映るこの制度も、医者にとっては良い治療をしても悪い治療をしても、新人でもベテランでも評価は同じにものになり、上医を目指す医者がいなくなってしまったのです。

これが共産主義思想の考え方です。
また、彼が行った医薬分業も、薬剤師を囲い込めばアメリカの薬を大量に売り込むことができるからです。
1949(昭和24)年7月には、アメリカ薬剤師協会使節団が来日し、医業薬業の実態を調べ、9月にはGHQマッカーサーの承認を得、日本政府に「強制医薬分業の実施」を勧告したのです。


これに対して日本医師会は大いに抵抗姿勢を示すが、サムスが仕組んだ国民皆保険制度の潮流に屈し、国家による統制医療に組み込まれていったのです。
マッカーサー罷免後、サムス辞任後、改正医薬分業法により効力を失っていきました。
その後、朝鮮戦争によりソ連と中国が台頭してきたことで、対日戦略を改め、日本を自由主義、資本主義の国に変えることで、軍事的な「防波堤」として利用することにしたのです。
これが日米同盟や地位協定の意味となります。
このように結果的には共産化は免れたものの、GHQによって刷り込まれた左翼思想やロックフェラー医学の根は深く長く続くことになりました。

まとめ

ロックフェラー医学は、人間は皆平等であるべきという大義名分を盾にした共産主義思想に基づく唯物的な医学でした。
とはいえ、本サイトの食事やフォトセラピーのパッチによって、免疫力を高めたり、医療機関を頼らずに済む生活を送ることができる可能性が高まってきました。
そして薬物や遺伝子に影響を及ぼす注射によって、人類を一元管理しようとする世の中から自分達の強い意志で自らを守っていきましょう。