Cobaringの若返る健康法を伝授!

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9割の日本人が知らない東洋医学とは

参照動画 9割の日本人が知らない東洋医学とは

東洋医学とは


東洋医学というのは漢方とか針とかといったものを想像しがちですが、厳密にはもっと広い意味があります。
中華人民共和国の地域restrict(制限)の中にあり、多くは漢民族や満州族たちが古くからやっていた伝承医学ということなのです。


この伝承医学というのは非常に重要で過去の経験によって培われたものなのです。
過去の経験によって一体どんなことが起こったのかということによって淘汰されたので、信じられないくらい科学性が高い、再現性が高い学問なのです。
ここで一体どんなことが起きているのかということを調べるときに、今の流行り病の注射のように、誰にでもやってみると、ある人は反応する、またある人は反応しない。極端な話ある人は死んでしまったとか、その場合この人はなぜ死んでしまったのだろう、この人はなぜ良く治ったのだろう、別に人はなぜこれほど副作用まみれになってしまったのだろうなどと、人がどうして反応するのかというのを一番最初に調べたのです。

それでこの人は体力もある免疫力もある、この人は免疫力がないといった分類で一番最初の最初に行ったのです。
それが「陰」と「陽」です。プラスとマイナスです。この人に何かをするとプラスの作用がある、この人に何かをするとマイナスの作用があるとなるようにして、まず陰と陽に分けたのです。
この概念というのは日本の勾玉(まがたま)などもそうなのですが陰極めれば陽となし、陽極めれば陰となすなどという言葉がありますが、つまり真夜中の一番暗い時間というのが陰がピークになっている時間なのですが、この時間から陰がどんどん薄くなっていって陽が始まっていく。その逆に太陽が一番南中しているときに一番暑いときというのが陽が極まっているときで、この瞬間を過ぎたら、実は陰に向かっていくということなのです。
つまりこれは非常に相対的な概念なので何が絶対に陰とか何が絶対に陽という概念がないのです。
これは右とか左とか、あるいは東と西とかというのが陰と陽です。これは例えば上と下というと絶対的な概念なのです。重力があって下に落ちていくので、こういう概念は絶対的な概念なので陰と陽ではないのです。
右と左とか東と西とか暑がりと寒がりとかこういう概念なのです。

起承転結と五行


最初にこの概念で分類していたのですが、そのうち不都合なことがたくさん出てきます。
そこで物事には起承転結があるのではないかという考えに落ち着き、物の始まりがあって、成長し、エネルギーが熟して、そして、またそれが壊れていって崩壊するとまたそれから新しいものが生まれるというような考え方なのです。
例えば我々は今は文化的な暮らしをしているから、死んだら焼き場に行って焼いて骨壺に入れてしまいますけれど、我々が野生の時はそれがありません。我々が死ぬと地面に埋めるとその死体や死んだ動物を埋めていくところに植物が生えてくる。なぜそのようなことが起こるのだろうかと。死んだものから命が生まれているのです。
現在はそれを人工的に肥料にしているのです。そう考えてみると一体どうなっているのかなという世の中の理屈を作るのに「五行」という考え方が生まれたのです。これが「木火土金水(もっかどこんすい)」と言います。このぐるぐる回っているという大きな循環が大自然の循環であり宇宙の循環であり、あるいは人間関係の循環であり、あるいはこれが人間の体の循環であるということを昔の中国大陸にいる人たちが気が付いたのです。


これによって物事をいろいろなことで見ていくと言ったのです。それぞれの木火土金水にも陰陽があるのです。
だから「木」の陰と陽、「火」の陰と陽というようにあって実際は10通りあるわけです。この五行の考え方。まず「木」ですが、字のごとく一番最初に理解する概念なのです。木が種を植えたら芽が出て生えて成長して、どんどん大きくなっていくという。生まれたものが成長し、葉を作り木の実が出来たりとか果物が生ったりとかするようなそういう物事やエネルギーを創造する、成長する、しかも上に向かって伸びていく、そういう概念を「木」というのです。「木」が最後枯れたり、人間が刈り取って伐採するとそれを燃やします。そうするとエネルギーが燃え盛るわけです。「木」から何か強烈なエネルギーが湧き出ているというような概念というのを「火(か)」と言うのです。


そうするとどうなるかと、やがて燃え尽きます。つまり陰から陽になってまた陰になるのです。そうするとそれは地面に落ちるわけです。土に還るわけです。これが「土(ど)」という概念です。そしてその土のところに落ち、雨が降ったら中に分解されて吸収されていくわけです。土の中に溜まっていくと溜まるまでが「土」という概念なのです。


今度は、それが「金」です。これは金属のことです。そこに入っているナトリウムとかカリウムとかマグネシウムなどがそれに当たります。肥料も然りです。そういう微量元素というのを人工的に混ぜるのです。窒素・リン酸・カリと言いますが、正にカリウムとか窒素だとかそういうものに分解されるのが「金」という概念です。それが「水」、雨が降ってくるということになって、地面の中に深く染み込んでいくと、そこに種を撒かれた木の根が入ってくると、自らが死んだものそのものを栄養としてもう一度再び蘇り、そしてまた木が生えてくるのです。こういう命の循環を延々と繰り返しているというのが、この世の中で、そういった概念なのです。
これに色々なものを当てはめるのです。

五行で見る適職

例えば今で言ったら会社の経営です。昔ですと民族の経営というか政治の在り方に該当します。諸葛孔明というのもこの「陰陽五行説」を使う天才でした。


「木」というのは何かと言うとエネルギーを作る人実らせる人ですから国王に当たります。今で言うと経営者に当たる人です。
この人たちがいて「火」いわゆる戦闘に長けている人です。源氏で言ったら義経みたいな人です。「火」のおかげで敵をねじ伏せることができる。一番の働き者で一番目立って、周りから憧れられたりするのです。あるいは美人であったりとか美男子であったりとかとにかくスターなのです。
そういうのができて今度は「土」になる。ここは皆が一所懸命闘うと言っても、中にはそれほど戦いたくない人もいて、戦闘から逃れようとしたり、大将の目を盗んで手を抜いたり、戦ったフリをしようという人もいるのです。
二八の論理ではありませんが、本当に働くのは2割ですから8割の人たちに、ぶら下がれると逃避するようになります。きちんと逃げ場が必要になってくるのです。その時に活躍するのが「土」という人で、母性に相当します。だから甘やかせるとかサボらせるとかいう意味もあるのですが、なだめたり。助けてあげるとかという概念で、母親のような人がいることで全員が英雄にならなずとも、重要な役割を担っているのです。
次に「金」ですが、警察のような役割になります。「金」というのは白黒を分けるという概念なのです。大本は川砂を持ってきて篩にかけると砂金は小さいですから砂だけが残って金だけが下に落ちるというものからの語源なのです。そうすると白黒をつけるわけですから、この甘やかしている人たちがいたとしても「そうは言ったってお前これじゃダメなんじゃないか」と「もうちっと頑張りなさいよ」と「いやお前は素晴らしいもっと伸びるべきだ」という人達です。

こういう人達がいてそして「水」という環境適応という概念が存在するのです。
水は「上善水の如し」でお皿に入ったら皿の形になり、コップに入ったらコップの形になる、花瓶に入った花瓶の形になるように非常に適応能力が強いという意味なのです。


この適応をさせるという人なのでまさに諸葛亮なのです。軍師です。今で言うところの経営コンサルタントですとか会計士とか税理士ですとか外部にいて助言をする様な人たちです。
この中国の戦術家たちは、この五行に当てはめるように人員の配置を行いました。
吉野先生が参議員選挙で戦っている時にゴレンジャーがちょうどこの五行だというのを声高に仰っていたのです。参政党を作ったのは神谷さんで「木」に当たります。最初一番人があった吉野先生が「火」に該当します。「土」はまさに母性があるから赤尾由美さんがやっていて、武田先生は善悪を判断して助言するので「金」なのです。元財務省で議員経験のある松田氏が神谷さんに助言するというこの五行のプロセスがうまくいっていたので党員が増えたと確信しているようです。
このように人員配置をするというので、五行は一番最初に使われていたのです。これを農業に使った医療に使ったりするのはもう少し後になります。


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五行をいざ医療に使おうとなった時に「木」相当するものは何かというと「土」や「金」や「水」は何かと考えた時に成長するとか物を作るとかという概念なので、では何か化学物質を作ったりとかエネルギー源を作っている臓器というのはどうなのかということです。
脳は考えているところですのでエネルギーを使うところです。心臓は、もっと使います。24時間365日絶対止まらないのですから一番エネルギーを使っているとこです。
消火器や呼吸器というのも物を消化吸収したりとか酸素を吸ったり二酸化炭素を出したりしますが、エネルギーを作っているところではありません。では一体どこなのかというと「肝臓」なのです。
肝臓というところはグリコーゲンを作ったりとか各種酵素を作ったりとか、アンモニアという毒素を尿素に転換して汚いものをキレイにしたりとか使えないものを使えるようにしたりとかあるいはエネルギー源にしたりとかするところなのです。つまり肝臓は「木」に該当するのです。
「火」は何かというとエネルギーを使うところですので心臓です。
「土」は何かというと物をためるところですので胃に当たります。
白黒つける「金」は二酸化炭素と酸素を分けるところですので「肺」なわけです。
因みに「水」を作るところというと腎臓なのです。おしっこを作るところです。
このように当てはめていくと肝臓がエネルギーを作り、心臓がエネルギーを使う。そして血液が体中に流れていきます。今度は胃に食べ物が溜まって消化吸収するとこれが腸管に入っていってその中にブドウ糖が流れていくと、心臓のエネルギーで回しているのです。そして肺で白黒つけエネルギー源として酸素が必要なため酸素で物を酸化してエネルギー作って電気を作っているのですが、酸素を取り込んで二酸化炭素を捨てているのです。今度は大腸です。大腸も「金」なのですが排泄物と水分と分けて要るものと要らないものに分けると最終的に「水」のところで体の水分量を調節するとおしっこというのは老廃物だけではないのです。イオンが多ければ捨て、足りなければ再吸収するのです。尿管で再吸収するので水を作っているだけではないのです。調節をしているところなのです。環境適応も行っているのです。そのようにして体が回っているという風に中国人が見つけたのです。それにより人間の体のコントロールをするという概念が東洋医学の原点中の原点なのです。

相生と相克とは

この「木火土金水」の流れというのを「相生(そうしょう)」この順番で回っているのです。ところが相手を打つ「相克(そうこく)」 というのがあり、例えば「木」は「土」を打ち、「土」は「水」を打ち「水」は「火」を打ち「火」は「金」を打ち「金」は「木」を打つとちょうど星形になるのです。
例えば心臓という臓器。これが過剰に働き過ぎていると西洋医学的に言うとアドナリンというのが出て心臓の脈が上がってレニン・アンジオテンシン(renin-angiotensin)というホルモンが副腎から出て血圧を上げているとか解釈するのですが、東洋医学の場合は、まず心臓がエネルギーがあると血圧とか脈拍が上がるとこれは「木」からエネルギーが行き過ぎていると考え、車で言うとアクセル踏んでたらガソリンがどんどん送られ、エンジンが回るという理屈で捉えるのです。つまり血圧や脈拍が上がっている状態を東洋医学では「心悸亢進」と言うのです。
そうすると「木」エネルギーがここから「木」が来ているので「木」を打たなければいけないとか、そうすると「木」を打つのは「金」になるわけです。「金」の部分が「木」の部分をこう打つと、ここで「金」とは何かというと肺なのです。 血圧が上がっている時どうするかと言うと「金」がエネルギーを「木」に向けて調整をする。 つまり肺の機能を上げるのです。深呼吸をすると血圧も脈拍も下がります。よって「金」が亢進させて意図的に亢進できるところは、肺ぐらいしかないのです。意図的におしっこを出すとか意図的にグリコーゲンを作るとか意図的に心拍数を上げるとか意図的に動かすことはできないと、そうすると自由自在にできるところというのは肺しかないのです。
肺は我々の意識的にも「随」と言いますが、随意運動もできますが、不随意運動もします。唯一随意にも不随意にも動かせるという非常に特殊な臓器なのです。
延いてはこれを使って心悸亢進を治そうというので呼吸法を用いたのが太極拳です。呼吸と体の運動をして体の血圧とか脈拍を含めてコントロールをする。つまり、ここの「金」の部分から体をコントロールするというのが太極拳のような運動とか動きとか呼吸法なのです。


もっと直接的に行うとなると「水」は「水克火」なのです。腎臓の部分は「火」を消すことができます。腎臓機能を上げるとおしっこをたくさん作ることができます。血液から作るので血液が減りますが、そうすると血圧が下がります。しかしながら、腎機能を意図的に作ることはできません。
そこで食品を使って腎機能を上げようとして考え、猪苓湯(ちょれいとう)とか柴苓湯(さいれいとう)とか五苓散などがありますが、みなキノコ製剤なのです。キノコを煎じると利尿作用が上がるのです。
因みに五苓散というのは胸から上の血液の量をコントロールします。猪苓湯というんのは下半身をコントロールするとかいう漢方薬ですが、頭に血が回っているとかいう場合は五苓散を用いて主に上半身の水が抜き、おしっことしているのです。
西洋医学ではこれはできません。西洋医学の利尿剤というのは全身から均等に抜いてしまうので下半身が浮腫んでいるからといって普通の利尿剤を出すと上半身も一緒に利用してしまうので意識が遠のいたりしてしまいます。
これは東洋医学的には上半身とか下半身とか、膝の関節だけとか特異的に水を抜くことができるのです。漢方薬を使って血液の量をコントロールすれば血圧をコントロールすることもできるのです。
そうやって漢方薬も特定の部位を亢進させて、相生と相克を調整できるのです。いわば「木火土金水」を陽にしたり陰にしたりとかして体のバランスを取るという考え方をするのです。

感情概念と臓器

そこで中国人は気が付いたのです。「木」のタイプの人とか「火」のタイプの人とかはそれぞれあるのではないか。あるいは感情があるのではないかと。
元々「木」のタイプというのは創造性が強いのです。松下幸之助がそうです。トヨタグループの創始者豊田佐吉などもこのタイプです。こういう人達というのは会社を作った人たちなのです。こういう人達の性格は物を作るという概念なのですが、この人たちが一番普段やっていることは何かというと実は忍耐なのです。
普通の会社員ならば辞めたいと思えば辞めればよいのですが、創始者ともなるとそれができません。借金もしなければならない、したくないこともしなければならない。そうするとこの「木」というのは実は「忍耐」という概念が入ってくるのです。
「火」というのは何かというと心臓と説明しましたが、心臓というものが持っている「神」つまり感情です。
これは道徳観とか倫理観というものが宿っているのです。
自分を責めたり反省する時は手を胸に当てるのです。その「神」というところには道徳観とか倫理観が宿ると次は「土」です。これは胃が相当すると説明しましたが、溜まるという臓器です。ここはサボるとか嫉妬するとか羨むとか卑怯と感じるとかそういう概念です。良い意味で言うと母性なのですが、甘やかせるというのから来ているので、そういう思い上がった感情があるというのがこの「土」の概念なのです。
次に「金」のところって何かというと、白黒つけると説明しましたが、これは非常に強い概念です。白黒つけた暁にはどういう感情が出てくるのかというと悲しみという概念なのです。
そして最後の「水」のところは水が適応と説明しましたが、適応できないという状態です。つまりうまくいっていないという状態なのです。
「木火土金水」の精神の概念があると我慢することによって蓄えたエネルギーで相生で「火」が動いたり、「火」が出過ぎて人気が出過ぎて自惚れていると奢って嫉妬するとか人のことを馬鹿にしたりとかそういう概念ができると批判されたりするのです。
そうすると悲しみという概念が出来て反省すると適応してまともな人間に戻って、そして一回り戻ってまた「木」というエネルギーを出す人になるのです。
つまり人生もこのようにして回っているのです。
例えばよくあるパターンで、江戸幕府が長く軌道に乗っていて、自分たちが日本の国内だけで盛り上がってうまくいっていると「日本国は、いい国だ」と思っていたうちは良いのですが、次第に腐敗が起き、田沼意次のような人が出てきたのです。
そこでペリーが来て開国を迫られ、白黒を決めさせられたというような概念が出来て、仕方がないから開国して明治維新で、「しょうがない外国と適応しよう」と言って新しい明治政府ができたのでした。
そうするとみんな一所懸命富国強兵のために頑張ったのです。それで日本という国が非常に強くなってきました。それで不平等条約を全部変えてきたと言って、不合理な点を国際連盟に訴え、拒絶の姿勢をとると世界中を敵に回して嫉妬され、戦争になって白黒つけさせられて、敗戦し適応するために止む無くマッカーサー原案を飲んだのです。日本国憲法というのを作らされて適応して、またエネルギーを蓄えて高度経済成長とかこの「木火土金水」を繰り返しているのです。
人間の心の成長とか病気なども「木火土金水」に准っているのです。あるタイプの人がそれぞれ存在するのだと。吉野先生に言わせると自分が「木」のタイプで何度も会社を作ったりとか潰れたりとか乗っ取られたりとか、あるいは再建したりとかというのを基本的に「木」の気質を持っているのですが、役割を演じなければならない時は「火」もやらなくてはならないし、「土」もやらなければならないし、「金」も「水」もやるのですが「木」の気質を持っているとこのメインの気質というのと実は裏の気質というのを、東洋医学では重要視するのです。
吉野先生の場合メインが「木」で裏は「火」なのです。そうすると自分でエネルギーを作って自分で燃えていく人間だと自己分析されています。そういうタイプのいけないところは自分が「火」で集中していると何も見えなくなるそうです。つまり必ず冷却している人が必要だと語っていました。
「水」というのをも絶対持っていないと思い上がってしまうと客観視されていました。参政党も然りですが、吉野先生が活躍したということで街頭演説の時には声援を浴びる役を演じていました。普段の吉野先生ですと「木」を演じていて、クリニックを訪れると多くの患者が和むようなチャーミングなナースがいたりすると、その人は「火」の役割を演じていたりするわけです。そうするとその人に対しては嫉妬されないように注意しなければいけないとか、「木火土金水」を回っているのです。
人間にもキャラクターがあって、それぞれどういう病気になりやすいかというのがあるのです。

五行で診る病因

「木」のエネルギーが強い人というと忍耐をしているわけですから我慢の限度をすると肝臓が壊れるのです。
お酒を飲まない人でもNASHという非アルコール性脂肪肝というものになったりします。お酒を一滴も飲んでいないのになぜ脂肪肝になっているのかとエネルギーを使って、消費しても我慢して使わないのです。そういう人達にとても脂肪肝が多いのです。
「なぜ私は、お酒飲んでいないのに脂肪肝なのかしら」と思ったら、それは我慢しているからです。
そして「火」の人。道徳観とか倫理観が強いと、納得がいかないことがあると倫理観が高くなれば高くなるほど血圧が高くなるので心臓循環器系の疾患になるので、こういう人は脳梗塞とか心筋梗塞とか血圧が高いとかという病気になるのです。
嫉妬の強い人は溜まるという概念から当然胃癌にもなるのですが、乳房も同様なのです。
乳房は母乳が溜まるところなので嫉妬が強い人たちが乳癌になる人が多いとか、肺は悲しみという概念ですが、胸が詰まるとか、物が喉が通らないとかという表現があるように、悲しみという概念は肺を悪くするので常に悲しんでいるという感情があると、喘息を起こすのです。
最後に環境適応ですが、環境適応が出来ないという概念が腎盂炎や腎臓からつながっている膀胱が膀胱炎を起こしたり、延いては血尿が出たりなどが考えられます。男性の場合は膀胱から尿道まで距離があるので比較的膀胱炎にはなりにくいのです。
女性でも膀胱炎になる人とならない人がいるかというと悲しみという概念があってそれに適応できないとかというふうに東洋医学では捉えていくのです。
それにより元々この人はどういう病気になりやすいのかというのは一生の傾向として掴めるのです。従ってそれを診ることからスタートするのです。
東洋医学の一番最初の診断ポイントは「望診」と言います。遠くから見てこの人は一体どのタイプなのか。というのを見抜くというのが必要なのです。
東洋医とは(後編)

参照動画URL 東洋医とは(後編)
東洋医学の診断

望診

東洋医学の一番最初の診断ポイントは「望診」という。遠くから診てこの人は一体どのタイプなのかというのを見抜くというのが必要なのです。

視診

見抜いた後に「視診」と言ってすぐ近くで見るのです。例えば黒目と白目の境界がくっきりしていると、この人は、くっきりしているから「金」の作用が強い。つまり肺の作用が強いのではないか。だからこの人はきちんと呼吸ができているか、できていないかというのをポイントで見てみよう。それから性格がきっちりしているのかしていないのか見てみようとか、逆に黒目と白目がぼやけているのであればこの人は、だらしない人の可能性があると、あるいは交感神経と副交感神経です。昼間パッと動いてサッと寝るというのができない。いつまでもダラダラと寝ていたり、起きようともしなかったりという人は目を見るのです。
顔についてもそうです。例えば唇というのが乳房を示すとか、白目の部分は肝臓を示すなどというのがあり、「この人は肝臓が悪いのだな」「子宮が悪いのだな」と顔を見て診断していくのです。これが「視診」なのです。そして次にやるのが「舌診」です。

舌診

ベロを見るのです。唾液がきちんと出ていて、きちんと代謝が行われているのか。ベロが浮腫んでいるから腎臓が悪いのかとか。ベロの裏を見て、動脈と静脈が確認できます。赤の方が怒張と言い、膨らんでいる場合は、心臓が激しく高鳴っていて交感神経が優位なのだなと診断するのです。
反対に青の方が膨らんでいる場合は、腎臓・膀胱系が悪く、排泄できていないのだなと診断したりする
のです。
それで例えば脚を触ったりしていくと押しても戻らないと、この人は腎臓が悪いのだなと診断するわけです。

脈診

そして次に「脈診」というのをするのです。脈を取ります。西洋医学で行っているそれは1分間に何拍とか、脈圧が強いなというのを見ます。東洋医学では心・肝・腎・胃・三焦と言って6点取るのです。
心臓の圧力はどうなのか。肝臓の圧力「沈」か腎臓の圧力は肺と胃と三焦というのは西洋医学にはない臓器の名前で、敢えて言うとリンパ系になります。リンパ管ではないのです。免疫系なのです。そこで、この人は今言った人間の分類では多分臓器が悪いのはどこだと推定し、実際に、どこが活動していてどこがダメなのだというのをこの脈診で取るのです。
脈の取り方も4つあるのです。例えば怒張しているような脈なのか、それともペコンペコンと凹んでいるような脈だとか、ほとんど脈がないのかというのを診断するのです。

切診

それぞれにこの6ヶ所に当てはめていって最後に「切診」と言って直接臓器を触るのです。例えば、この人は胃が悪いのだろうと、そして目を見たら血走っているから怒っているんだろうとか、そして怒っているが故に肝臓のエネルギーがどんどん心臓の方に流れているのだろうと、見当をつけるのです。
それで肝臓を右の肋骨の下の所から手を刺し込んでていくと痛みで声を上げるのです。そうすると診断が当たっていたという事になるのです。

東洋医学の治療

これを検証するために肩のところに怒りだとか血圧が高いとかいう「肩井(けんせい)」というツボがあるのです。ここに鍼を打つと怒りが収まったとすると、診断が正しかったとなるのです。そして、この鍼の作用は一瞬です。長く続いても10分とか15分くらいなのです。2日くらいすると完全に消えてしまうのですが、これと同じ作用のある漢方薬を飲ませるというと抑肝散という漢方薬なのです。肝臓を抑制するという散剤ですと、飲むと怒りが収まって楽になるのです。
このようにして人を五行によって当てはめて「望診」から始まり、最後は「脈診」「切診」と診断し、鍼で漢方薬を出すという風にしていって、その人が、脈拍が高いのであれば我慢しているわけですから、これを打つと言ったら「木」からでしたら「水」で「火」で「金」で「木」を打つわけです。「金」の人は探さなければなりません。白黒つける人ですから。善し悪しを判断する人を身近に配置することを提案すると、逆に助言を求められます。更に提案をすると遠くにいて会っていないと返すと、会いに行ってゆっくり話すことを助言する。和を尊ぶことを諭すという風に東洋医学というのは診ていくのです。
つまり東洋医学というと便秘を訴える人にセンナを出したり眠れない人に抑肝散を出したりする。それは西洋医学の診断に漢方薬を使っているだけであり、東洋医学とは異なるのです。
商売っ気のある漢方薬局が不妊の相談に乗ったりとか浮腫みの相談に乗って副作用が少ないですよといって漢方薬を売ったりとかしていますが、それは東洋医学ではないのです。

本当の名医とは

東洋医学の診断の一番大事なところは手で触る「切診」が下品だと言っている事です。真の東洋医学のプロというのは「望診」一発だけでその人がどんな人だというのを判らなければいけないと、そのために必要なことは一族でそれをずっと続けているということなのです。その経験値というのを一族で保存するのです。血族でなくてもよいのです。それを続けてきた一族の膨大な経験値というのを貯めていくのです。
それで例えば4代目とか5代目の人とかと言うともう5代目になった時に1234代目の知識とか方法というのは全部継承しているのです。


ですから子供のころから育てるのです。教育をし、習熟度を確認して育てていくのです。そのようにして育てていくと東洋医学は名医と藪医者しかできなくなってしまうのです。

藪医者

藪のようにそこら中にいる医者という意味ですよね。だから名医というのは本当に才能もあるし、努力もしているし、経験値も積んでいる人で、しかも威張らない人なのです。
そういう人でないと今のようにインターネットで広告を出したりできなかったため、評判でしか救いを求めてくる人を集められなかったのです。
ですから名医というのは謙虚であって、しかも優しい人で本当に一族を幸せにしようという人達が本当の名医だったのです。

扁鵲という医者

昔、扁鵲(へんじゃく)という医師の話があり、ある王様のところに行って、名医ということで王様の不具合な点を指摘すると、「どこも悪いところはないが、治したと言って有名になりただけだろ」と罵り、クビを切られてしまったそうです。
ところが暫くすると本当にお腹が痛くなって、医者に「なんとか治してください」というと「こういう生活に悔い改めてください」と言ったら「何だってお前は鍼も漢方薬も出さないのか。薮医者じゃないか出ていけ」と言われて出ていってしまって、治まらない王様のお付きの者が扁鵲のところへ行って相談すると「もうダメです。最初の時であれば鍼で治った。二番目の時だったら漢方薬で治った。でも今は全身に毒が回っているから必ず死ぬでしょう。そしてアドバイスをしたら私は暗殺されるでしょう。必ず死ぬからと言って亡命するでしょう。」と回答だったのです。
つまり最初に見た瞬間にこの人はこういうタイプだからこういう風にすべきですよと言ってきっかけは鍼で作るのですよというのが名医なのです。
扁鵲は王様を見て、どのような一族でどのような環境や教育でどのようにして生きてきたか、どんなものを食べてきたかどのような価値観を植え付けられてどんな欲を持っているかを一瞬で見抜き、このようにしなさいとアドバイスしたのです。

醫・毉の意味とは

医者の醫という字がありますが、という字は矢を構えで隠していますが、この矢はメスを表しています。つまりを矢を出さない、威嚇しないということを示しています。刀も人を殺せる薬も持っているが、人を殺さないという意味なのです。
となりにある「殳」という字は切る動作を表しており、これを隠しているのです。下の「酉」というのは酒樽を表しており、飲むための酒ではなく、油にも水にもとけるため色々な漢方の成分をアルコールに溶かして薬をとして調合して出すため用いることからこの文字が使われています。
メスで切ったりするのですが、それをひけらかさず隠して謙虚であり、色々な薬をお酒に溶かして調合して出す人というのが元々の意味なのです。


一方「毉」という字は祈るという意味があり、昔の医療には二種類あり、外科や内科で手術をしたり、薬を調合して出したりという医者とその人の健康を祈る、祈りの力で治すというものがあり、これが東洋医学だったのです。