Cobaringの若返る健康法を伝授!

伝統的な日本型食生活を腹八分目食べることで瘦せられるばかりか健康を維持することができる簡単で経済的な若返る健康法です。

小麦と日本人

参照動画:吉野敏明チャンネル 

小麦の定義と歴史

小麦に関しては今、色々とあらゆる病気の原因だとかグルテンフリーだとか癌の原因ではないかとか言われていますけれど、吉野先生がいつも仰っている通り、まず歴史と定義が解っていないと議論に立てないので、そこを正しく押さえて下さいました。

小麦の歴史

小麦の歴史ですが、原産地は肥沃な三日月地帯と言われている場所です。


それは地中海があって黒海があって更に紅海があるというイスラエルのすぐ近くです。
イスラエルと旧ペルシャ、イランのある所のもう少し北側の黒海の南側のあたりにメソポタミア文明が起きました。
ここはオアシスが出るところで有名です。山脈になっているので空気が上がろうとするとここだけ雨が降るのです。
日本でいえば日本列島があって冬になると西高東低ですから西から風が吹いてきて日本列島を上がろうとするとそこで雨が降ります。これが雪になって冬は日本海側がたくさん雪が降って或いは雨が降って関東とか東側の方はものすごく乾燥するのと同じでここも全く同じ構造なのです。
この三日月地帯と言うのは山が三日月状になっているのでその下のところだけ、乾燥している気候なのにもかかわらず水がある場所なのです。
つまりオアシスがあった井戸が掘れたりするのは、ここだけなのです。

野生の小麦

もっと南はルブアルハリ砂漠があり、このアラビア半島は昔から非常に乾燥している所なのですが、野生の小麦が自生していたのです。


小麦とか雑草が生えてとヤギなどの野生動物もたくさん集まったので紀元前8400年頃に野生の小麦の化石が出土しているのです。
遺伝子を調べると野生の小麦があったという事が分っています。
紀元前7000年ぐらいになると人間がこれらの作物や野生動物のヤギを飼い慣らして農業を始めたり、酪農や畜産を始めたという事が分っています。
9000年前ぐらいから人間は小麦というものを栽培して食べるようになったのです。
小麦は元々ヒトツブコムギというものでしたが、人間は46この遺伝子を持っていて23対です。母親から23個もらってきて父親から23個もらってくる。そして46個になります。番(つがい)になっています。

このような状態の物を1倍体といいます。植物の場合は2倍体とか4倍体というものがあって遺伝子の数が倍になった4倍になったりするということが自然界でも時々起こるのです。
因みにこの原種は1倍体になります。ゲノムを調べると野生の小麦は7本をセットとします。14本の染色体の小麦だったのです。
これを学術的にはヒトツブコムギと言います。それが何かしらの偶然で4倍体というものができたのです。
これらをフタツブコムギとかタルホコムギと言います。やがて人間の手で交雑をして農業をしているうちに3倍体とか複雑なものがたくさんできたのです。
これが当時、当然3倍体とか4倍体とかという事が分かっていなかったとしても麦がたくさん獲れる様になったのですから、当時の人類としては非常に恵みの食物となったのです。
沢山小麦が獲れるものをさらに品腫改良を重ね、掛け合わせをしていって複雑なものを作っていったのです。

6倍体の小麦

最終的に今、我々が食べているものは6倍体です。今ではこれをフツウコムギと言います。
サントリビールか何かで麦の穂が出ているラベルがありますが、上に長くなっているような矢のしっぽみたいな構造をしていて、よく見かける麦のイメージがありますが、あれは6倍体で、もともとは6分の1くらいしかなかったのです。ですからあたかもチューリップのような形をしていたのです。しかもほとんど実がありませんでした。これが野生の小麦だったのです。
これが6倍体になると穂が重くなりますので倒れ込んでくるので風に弱く、人間の管理が必要になったわけです。
家畜と同様人工的に作っていくと弱くなるのです。すると様々な病気ができ始めます。黴の仲間が増えてきたりとかウイルスが入ったりとかするので、農薬とか肥料というものが必要になってくるわけです。
つまり、野生の小麦よりたくさん獲れる代わりに人間が手間暇をかけてあげないと育たなくなっているというのが、今の小麦なのです。

かけはなれた原種

スイカとかバナナなども自然の物だと思っている人は多いかもしれませんが、自然の物ではなく、スイカの原種などは非常に小さいもので、しかも中身に赤いところは殆どなく、白い所ばかりで種だらけなのです。この時のスイカは自然の物ですから甘みもほとんどなく、食べるところも非常に少なかったのです。


バナナも同様です。バナナも黄色く、長いというイメージがありますが、丸い形で中は種だらけでした。今のバナナには種がありませんが、接ぎ木で増やしているのです。ソメイヨシノと同じでバナナの木に種のないバナナを接ぎ木してうプランテーションをしているのです。今のバナナはクローン、分身なのです。
小麦もそのようにして複雑な物を作っていたのです。そして小麦の原種というのはヒトツブコムギというものでした。

品種改良の歴史

ヒトツブコムギという一番古い小麦の化石で出てくるのは1万5000年ぐらい前なのです。その頃の小麦と今の小麦は全然違います。少なくとも9000年ぐらい前からは自然のものではなくなっているのです。

小そ麦は稲と同じように、外側に胚芽という皮の部分があって中に身が入っていて胚乳つまり米の白米の部分を多くの人間は食べています。この部分を粉末にして小麦粉にしているのです。
胚乳というのが大体83%ぐらいで糖質がほとんどで蛋白質は少ないところになります。この中にグルテニンとグリアジンという蛋白質が入っています。
これらは胚乳の中の一番真ん中の所にあるのです。ですから小麦粉を粉にしても性質が異なるのです。「強力粉」とか「薄力粉」などと言いますが、真ん中にいけばいくほど粘りが出るのです。
このグルテニンとグリアジンという別々の蛋白質が入っているのですが、これを練っていくと「グルテン」というものに変化していきます。これが粘り気になり、麺やパンを作ったりということが始まったのです。
強力粉というのが一番グルテンが多いものになります。割合としましては11.5%~13%ぐらいです。ケーキや天婦羅に使われる薄力粉ですと6.5%~9%ぐらいになります。
分類としては強力粉・準強力粉・中力粉・薄力粉となります。
我々が普段食べているパンの種類(強力粉・準強力粉)としては9%ぐらいで菓子類やうどんに使われる中力粉・薄力粉は90.4%程になります。
これらのものは中力粉や薄力粉というのがグルテンが少なくなっています。
よく「うどんもダメなのですか」と尋ねられるそうですが、グルテンに対して病気を持っている人というのは「グルテン不耐症」と診断し、摂らなければ摂らないほど良いのですが、パンよりもうどんの方がマシという事は実際にはあります。
ですから日本人は割と昔から食べているのはパンではなく、うどんなのです。そういう意味ではより問題が少なかったのはうどんと言えるのです。
このグルテンの含有量を上げていくというのが大体1900年代ぐらいからの改良なのです。


デュラムコムギというのがありますが、これは人工的に作った種類の小麦です。これは一番グルテンの含有量が高いのです。ずばり西洋の麵です。スパゲティとかパスタとかに当たります。これのために開発された小麦のためグルテンの量は更に高くなっているのです。


臨床的にもクローン病や潰瘍性大腸炎、大腸がんなどの患者に問診するとパスタ好きという人がとても多いのです。
パン以上にパスタを主食にしているような、パンもあまり食べずにスパゲティで食べているような人です。ご飯を全然食べないという人たちがグルテンの含有量の多いパスタを止めるということで病気が治っていくということはあります。

始まった食の統計

江戸時代には今の日本と違っていわゆる文献というものは何を食べていたとかという文献がありますが、北海道から沖縄の人までを含めたいわゆる日本民族は何を食べていたのかなどという文献はありません。
その理由は徳川幕府というのはあくまでも徳川家の幕府であって、今のように日本を憲法や法律で統治している国家ではないので統計というものがありません。
ところが明治政府ができて今でいう農林水産省の農水省ができて、一体日本人というものがどんなものを食べてきたのかという調査をしたのです。
明治政府になってから「江戸時代はどうだったのか」ということを調べたものです。
ですから「今から20年前に皆さんは何を食べていましたか?」ということを調べて明治政府が出したものです。
北海道から沖縄まで、実際沖縄は米は獲れないのですが、北海道も開拓する前ですから青森県から鹿児島県までの統計があります。
それは調査が目的ではなくて、より強い軍人を育成するためにはどんな県民性があってどういう人たちが強いのかということを知るために食料調査が行われたのです。
その文献からすると日本人は小麦をほとんど食べていませんでした。1%に上がっていませんでした。
つまり日本人は平均して50.2%を米から炭水化物をエネルギー源として摂っていました。約30%ぐらいが粟とか稗の雑穀です。残りが芋とか大麦になります。小麦は統計に出るほどの数字はありません。1%以下です。
ですから「昔からあった」という声が聞こえてきそうですが、常食していたわけではないのです。
多くは、これらの少ない食物は例えば、そうめんとかうどんとかという乾物として租庸調として税として納められていたことがありますが、庶民が毎日そうめんを食べているということはなかったのです。
例えば、今の香川県とか岡山県は小麦が獲れます。獲れるということは小麦に適した気候があるという事です。小麦と米は真裏返しです。
米は大量の水が必要です。雨がたくさん降らなければ作れません。もともと高温多湿の物です。今でいうタイぐらいが原産なのでものすごく暑くなければいけないのです。
日本の夏季に梅雨をまたいで高温になるところで夏に栽培して秋に刈り取るというのです。ですから例えば東南アジアのように冬雨が降らないため二期作が難しいところもあるのです。この気候に適している所で獲ると、小麦というのは寒くて雨が降らなくて、霜が降っても困るのです。そうすると乾燥気候で雨が降らないところというと瀬戸内海が該当します。瀬戸内海式の気候は梅雨がなく冬も中国山脈で雨を降らせてしまって夏は四国山脈で雨を降らせてしまって、雨が少ないと多くは米の裏作として冬季に小麦を栽培するので小麦が獲れる。その小麦は租庸調の税として納めるために作っていたのです。

日本人と穀物

日本人がどんな穀物を食べていたのかというと、かなりの地域差があります。
薩摩の国になると半分ぐらいが芋だったのです。沖縄は米を獲れないので当時はというと今は品種改良が進んでいますが、土地が塩分が多いサンゴ礁の上にできているような島なので米は栽培できず今でいう紫芋のようなものを主食にしていて米は食べていませんでした。琉球王国の人たちは鹿児島ぐらいですと半分ぐらいが芋でした。
関東から北ぐらいになると穀物が増えるのですが、大麦も寒いところで獲れるので北の方に行けば行くほど大麦が増えます。
米どころなので福井県とか石川県のあたりでは8割ぐらいが米でした。県民によって全然食べているものが違うのです。とはいえ、主食は米でした。そして雑穀も食べていました。この米と雑穀と大麦というのは意味があり、収穫できる時期がずれているので全滅することがないのです。日照りがあったり、冷害があったり、台風が多く来たりしても、どれかは何とかなったりするのです。
日本の多くは米を、江戸時代は当たり前ですが税として出して良いわけですから昔の農家の人たちが米を作っているにもかかわらず粟とか稗を食べていたというのは粟とか稗で税に出すのではなく米で納税して粟とか稗とか大麦を食べていたということが事実です。
ですからよく「◎●にある~という文献がある」とか「◎●というところがあり、それは歴史が証明している」というのはあるかないかだけではないということです。
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日本人と麦の歴史

小麦の歴史

大麦と日本人

日本人が食べていたのは大麦です。
大麦の良いところは食物繊維が白米の17倍、カリウムにおいては2倍、カルシウムにおいては3倍も有しています。
また、小麦と異なり、グルテニンとホルデインという蛋白質からはグルテンを形成しません。短所としてはアミノ酸が不十分で大麦だけ食べているとタンパク質の不足を来します。

小麦の短所

ところが米と麦を混ぜるととても体に良いことが経験則として知られていたのです。
特に小麦は蛋白質が足りないものが多く、特にリジン足りず、小麦だけ食べていると栄養失調を来します。
一方米だけ食べていると栄養バランスが悪くなることはあっても必須アミノ酸が入っているので玄米さえ食べていれば生命の存続には問題がありません。
よく食糧援助物資で小麦粉をアフリカに送ったりすると、痩せてはいるものの腹水でお腹が出ている子をみかけたりしますが、その状態をクワシオコールといいます。


必須アミノ酸が不足すると自分の内臓を壊してその内臓からアミノ酸を作るという現象が起こります。内臓が壊れると、怪我をしたときに浸出液が出るとの同様に、内臓損傷による浸出液がお腹にたまる。所謂腹水です。


ガリガリになって腹水が溜まっていく栄養失調の姿です。
本当は、そういうところに食糧援助をする時は、米粉が良いのです。トウモロコシの粉も必須アミノ酸は足りません。特に小麦はリジンが足りないということが致命的です。
日本人が小麦を摂るようになったのは戦後です。GHQの食料政策によって日本の主食の転換というものが行われたのです。米から小麦を食べる民族に変えるということをしたのです。

戦後に普及した小麦

1945年の8月15日に敗戦して9月2日に戦艦ミズーリの上でポツダム宣言を受託して調印が行われました。


そして最初に行われたのが武装解除や教育勅語の廃止と同時に食料転換が9月3日から行われたのです。
食料援助物資が9月3日から入ってきたのです。これは日本人が可哀想だからではなく、アメリカの余剰穀物の処分先として入ってきたのです。
アメリカは農業国でしたが、第一次世界大戦で国土が焦土と化してヨーロッパの食料自給率が著しく下がった時に、アメリカが小麦粉やトウモロコシの粉などを輸出したことにより超大国になったのです。
ところが食料安全保障の危機感からドイツやフランスを始め内陸国は、どんどん食料自給率を上げていったので、アメリカは小麦を売る国がなくなってしまったのです。
そこで最初は敗戦国の日本に援助物資として出すことにしたのですが、やがてPL480条という条約によって小麦を30万トン買わなければならないことになってしまったのです。


これは買うだけではなく、食べなければいけないと、困った日本政府は給食というかたちでパンを食べるのを子供の義務にしたのです。こうすることで件の条約を履行できるというのが日本人が小麦を食べるようになった経緯なのです。
江戸時代には小麦粉はなかったのですが、関西の粉もの文化の誕生の起源は、戦後の食料援助物資で作られた創作料理だといいます。
もんじゃ焼きやお好み焼き、たこ焼きなどがそうです。
たこ焼きも元々は明石焼きです。染料を使うのに卵白を使用しますが、余った卵黄を小麦粉と混ぜて郷土料理に仕立て上げた有効利用といえましょう。
タコの足も同様で元々、身の部分を使う料理なのですが、これらの不要なものを混ぜて戦後の食料危機のところを何とか耐え忍ぼうとか、大阪大空襲でバラックがたくさんあり、焼け落ちていた建物の鉄板とそれから食料物資で来た毎年18万トン使わなければならない食用油を引いて作ったのがお好み焼きやたこ焼きなのです。

統計の話

統計の話になりますが、米は戦前1日に大体350~400グラム摂っていたのですが、現代では150グラムを切っています。


小麦は1900年代の統計では統計に表れない数字です。ほぼ0です。今では平均100グラムぐらい摂っているのです。

小麦に起因する病気

小麦のアレルギーというのとグルテンの不耐症というのは違います。


小麦のアレルギーがある人というのは極端な場合アナフィラキシーが該当します。3型4型のアレルギーとなると食べた翌日に皮膚に湿疹ができたり、痒みが出るものです。蕎麦や小麦のアレルギーがありますが、グルテンという小麦の中の蛋白質に対する免疫異常というのをグルテン不耐症といいます。
一番軽いのが大体花粉症ぐらいで一番重くなると癌です。
中間が自己免疫疾患です。クローン病とか潰瘍性大腸炎とかリウマチが該当
します。
条約締結をしていることもあり、或いは小麦を食べるように食料転換政策されたこともあり、小麦のマイナス面を公開しにくい環境にあったのです。


有名な話ではテニスのジョコビッチという選手がグルテンフリーにすることでパフォーマンスが上がって世界一のプレーヤーになったわけですが、その経緯が書いている本があります。
このグルテンにはグルテン過敏症という人がいてアレルギーに近いような人がいますが、これは小麦のグルテンに似た構造の蛋白質、つまりライ麦などでも反応します。
アレルギーですからいずれも食べてはいけないのですが日本においても少ないといえます。
セリアック病というのがあります。これはグルテンが入ってくると、異物が入ってきたと反応し、自分の小腸を壊してしまう自己免疫疾患ですが、これらが潰瘍性大腸炎だとかクローン病に近いような病気です。
そこまでに発展しなくてもグルテンを消化分解する酵素が足りなかったりすると全身的に慢性的な不調だとか疲れや怠さ、眠気などの症状が出ることがあります。
実は、このグルテン不耐症に関するテストはなく、グルテンを摂っているひとがやめて症状がなくなった時にグルテン不耐症だったと診断する以外には方法はなく検査キットなどはありません。
しかしながら、多くの日本人は小麦を大量に食べています。外で売られている出来合いの食べ物には何が入っているか判りません。
麵などのように明らかなものもありますが、どこで摂っているのか判らないというのが今の日本人の現状
になります。
これは状況証拠になりますが、小麦の摂取量が増えているというのとガンが増えているというのはグラフを比較すると平行線なのです。
小麦の使用量が増えて統計を取り出してからになりますが、食料転換政策によって小麦を日本人が30万トン買わなければいけないという風になってからでも、その後でも約2.5倍に増えているのです。
当時の日本人よりも現代人の方がもっと小麦を食べているのです。癌が大体戦前に比べて3.8~4倍ぐらい増えているのです。
ガンが遺伝子疾患だという仮説で今日本が動いていますが、どうして戦前はほとんど癌がなかったのに、戦後78年経ったら約4倍に増えているのかというのが遺伝子疾患では説明がつかないのです。

小麦への依存リスク

なぜ現代の日本人は小麦をこれほど好むのでしょうか。またパンを美味しいと感じるのでしょうか。
脳には快楽報酬系という回路があります。解りやすい例では覚醒剤という薬物やギャンブルや暴力、強い光などがあります。こういうものに依存してしまうと、この快楽報酬系というところにその刺激が入ってくるとドーパミンというものが出て多幸感を得、依存症になってしまうのです。


このドーパミンが出る場所が大脳の前頭葉というところです。例えば頭頂葉といったら体を動かすところ側頭葉といったら記憶するというところがありますが、前頭葉はものを考えるところで、しかも前頭葉の前頭前野というのは一番高度な知能を持つところです。人間が一番発達しているところです。
この部分にA10神経という神経の回路があって何かの刺激が入ってくるとドーパミンが出るという場所なのです。この一番高度な考え方をしているところが多幸感で麻痺してしまうのです。
覚醒剤ば悪いと解っていてもいても何回も打ってしまうのは前頭前野にドーパミンが出てしまうからなのです。
このA10神経の快楽報酬系に入るのはグルテンも該当するのです。甘味も入ります。植物性の油も胃の中で消化するとエクソルフィンという物質になります。これも快楽報酬系に入ります。
油が入って、グルテンが入って砂糖が入るなるとケーキのようなものが該当します。これはケーキが好きなのではなくて依存している状態といえます。


ですから大体3ヶ月ぐらい止めるとなくても大丈夫になったりするのです。
いまの日本人がこれほどまでに小麦を美味しいと思って食べているのかというと快楽報酬系に入る食べ物でしかも小麦粉と水とイーストだけで作っている人はいません。
必ず油や砂糖を入れます。これらを入れないとパンはカチカチになります。しかも全粒粉です。小麦の外側の殻の方まで入れると黒っぽいパンになります。本当に岩みたいに硬いので外国の人はちぎって食べます。さらにバターとかを付けて柔らかくしないと噛んだり飲んだりできません。
今の日本のパンは7000年前とか8000年前の原種の小麦を油とか砂糖を混ぜずに食べていた人たちのパンとは全く違うものなのです。
ご飯を炊く時に油と砂糖を入れる人はほとんどいません。だからご飯とパンは違うのです。パンは加工食品なのです。
安くて美味しいパンほど植物性の油と砂糖が多く入っています。日本においてはご飯とパンというのは、対等に並ぶ炭水化物ではないのです。

対等に近づけるには全粒粉で油と砂糖をほとんど使っていないものでヒトツブコムギを使っているようなパンでしたらグルテンをほとんど含まないので、古代小麦のような名称で検索し、入手してパンを作ればグルテン不耐症になる可能性が低いパンを食べることが来ます。

まとめ

以前私は植物油ではなく、バターを少なくして、あるいはバターも入れずに、国産小麦粉と砂糖とイーストでパンを作っていたことがあります。
それが原因で体調の悪さを自覚したことはありませんが、吉野先生の話を聞いてから自家製のパンすら作らなくなりました。
米粉やご飯からパンもどきを作ることも考えてはみましたが、ご飯を十分に食べていると別にパンもどきを作ってまで食べたいとも思わなくなりました。
昔の日本の食事に戻ればよいのです。